* * *










 普通、来客っていうものは玄関から入って来ないものだろうか。



「……あのぉ、どちら様、でしょうか?」



 やっとのこと倉庫の掃除が終わって、遅い昼ご飯を準備しようとした矢先。

 あっ、ちなみにフェールには水を汲みに行ってもらった。

 なので私一人で家の扉を開けて、そこに広がっていたワンダーランドに突入してしまった。

 色トリドリの鳥が天井を飛び回り、サイケデリックな植物が壁と床に蔓延り、

 その中心で優雅なティータイムを満喫しているお嬢さんが一人。

 勝手に部屋に入られたあげく、勝手に部屋に魔法をかけられてしまえば、さすがにキレるぞ、私でも。



《あら、ここに入れてくれたのはあ・な・たよ?何か問題、あるかしら》



 むっ、その声には聞き覚えがある。

 ハッとして彼女の膝に置かれている本に目がいった。

 まさか、いやそんなまさか、なんてこった。



「もしかしてそれからっ、本から出て来たんですかぁ!?」

《ピンポーン》



 うわー、そのセリフさっきも聞いたって。

 頭が痛くなる、あっやべ、胃も痛いかも。ダメだ、しっかりしろ私。

 ちょっと待ってくれ、そんな展開があっていいのか。

 それにいくら本に魔法がかかっているからって、こんな魔法はありなのか。



《確かに部屋のことは謝るけど、ほら見て? ご飯も用意してあげたのよ?

 ちょっとは感謝してくれてもいいんでなぁーい?》



 ニッコリ笑われても、私は溜息しか出ませんって。

 ああもう、一難去ってまた一難かコノヤロー。

 しかも用意された料理というのが、またグロテスクな色をしている。

 あれ、食べて大丈夫なのかな。



『グレイー、水汲んで来たぞ? つーか腹減ったぁ、お腹と背中がくっつきそう――

 ……何じゃゴリ゛ャアアアア゛!?』



 見事なツッコミ、ありがとう。

 フェールも帰って来た。さて、ここからどうしようか。



「っで、あなたはどうやったら本に戻っていただけるんですか?」

《あら、そんな簡単に私の要求を呑んで下さるのぉ? 可愛いまーじょさん》

「…要求?」

『ちょっ、グレイ!? 何なのさコノ光景!!』

「あー、詳しいことはコッチの彼女に――」



 眉間に寄る皺を押し広げようとしながら、彼女を指で差した矢先。

 ガチャンドタンッと落ちたのは水の入ったバケツ。

 フェールが両手に持っていたものだ。

 その衝撃で飛び散った水が、床を少し濡らす。



『な、で?』

《はぁーい、狼男さん。あ、違ったわね。お久しぶり》



 抗議をしようとした私だったが、彼女の言葉に振り返った。

 久しぶり、だと?



《こんの人殺し。よくもヌケヌケと生きながらえたもんだわ。

 しかも何? 私の曾孫にまで手ぇ出してさぁ、ふざけんじゃないわよ。

 何様のつもりなわけぇ?

 アンタはとっくに銀の銃弾で自殺でもしとけば良かったのよ》



 マシンガントーク。

 呆気に取られた私とは反対に、フェールを見上げてみれば顔面蒼白。

 血の気が一切、なくなっている。

 唇は震え、額からは冷や汗。また体調不良でも起こしたかと思う。



《私を殺した時みたいに、ね》



 血マミレの更なる展開が待ち受けていそうな気が、…したくはなかったが、したのだ。

 おいフェール、これは一体どういうことだ。

 ん? そういえば彼女、曾孫がどうとか言わなかったか?

























「ヒッ、ひぃ祖母様ぁぁあ!?」

《何でそんな絶叫するわけぇ? アナタ私の顔、知らなかったの?》

「し、しょ、肖像画、見たこと、ないんで」

《えぇ゛ー!? 私の肖像画 実家にあったわよ確か!!》

「あは、あはは」



 叫んだり苦笑いしたり、忙しい限りだ。



 フェールに対して、何やら散々な言葉を叩き付けたこの女性。

 まさか憧れていたひぃ祖母様であると、誰が思う。

 あの本の作者が、どうやら彼女らしい。表紙から読み取れなかったが。

 題名だけでも見にくかったのだから、当然だろう。



「でもっ、でも瞳は灰色じゃないんですね…母から良く聞かされてたんですが」

『あぁコレ? 違うわよ。この体は魔法で作られたものだから、本体と区別するための目印として変えてるだけ』



 灰色でなく、藍色の目を指さした、ひぃ祖母様(の形をした魔法)。

 つまり生前にもこの魔法を、彼女は使ったのだろうか。

 ちょっと視線をフェールに滑らせれば、相変わらず汗がダラダラ。

 無言のまま、唇を噛み締めている。



「っで、あの、フェールが人殺しって、どういう?」

《あら嫌だ、聞いてないの?》



 気になり過ぎて、尋ねずにはいられなかった。

 フェールの体が震える、気付いたが見てみぬフリ。

 だって、意味が分からないじゃないか。フェールが私の曾祖母を知っているなんて。

 一言も、聞いたことがない。そんな話。



《私、この男に噛み殺されたのよぉ? 酷い話だわ全く》

「―――噛み、殺…?」

『違うッ、ちが―…』



 衝、―撃。

 焦燥し、身を乗り出すフェールとは裏腹、意識が後退していく。

 殺された殺された殺された、私の曾祖母が彼に?

 刹那、フラッシュバックしたのは、井戸の側で最初に見つけた、黒い塊。


 あの時の、恐怖。


『違うんだ、俺は、本当は』

《分かってないわねぇ》



 弁明など彼女には通用しない。

 蝿を叩き潰すように、彼女の鋭い言葉でフェールは圧迫される。

 彼は口を閉じざるをえない。



《あんたが発言する度に、あんたの立場はドン底に落ち込むのよ。

 黙ってなさい、どうせまともな反論する権利もなければ、出来やしないんだから》



 馬鹿にし、憐れみ、呆れ、曾祖母はニッコリ笑った。

 そこへ吹き荒れる吹雪。

 いや、雪崩が発生したか。

 そのまま白い津波に呑み込まれ、帰って来れなくなりそう。


 ピリピリ緊迫し始める空気。耐え切れずに口を開いた。



「あの、でも私…ひぃ祖母様は病気で死んだって」

《一族にはそう伝わってるでしょうね。腕の立つ魔女が狼族に噛み殺されただなんて、恥だもの》



 恥、か。

 確かに、私の一族は家名を重んじる傾向が強い。

 しかし一族の者に対してまで、真実を歪めてしまって、良いものだろうか。

 うーん、何だか納得がいかない。違和感がある。



《さて、本題に入るけど。さっき私の要求を聞いてくれるって、言ったわよね?》

「え゛っ……あっ、そうか」



 ちょっと気が逸れていたから、反応が遅れる。

 そうだった、さっき軽はずみにそんなことを言ってしまった。

 魔女というものは厄介な所があって、能力の高い魔女が相手ならば口頭で契約が結ばれてしまう。

 契約書を使うものなら、さらに強力な拘束力を持ってしまう。


 どっちにしろ、結んだ契約を破ってはならなくなるのだ。



《私の要求は超単純。彼が今ここで死ぬこと》



 そう、決して破ってはならなくなる。



《あぁ勿論、銀の弾丸だか槍だかは提供させてもらうから。

 私は実体ないからさぁ、こいつ殺せないのよ。分かる?》



 まずい。胸にそんな言葉が過ぎった。



 狼族と人間の違いを強いて言えば、体内に含まれる塩化物イオン濃度。

 狼族は人間のそれより少し高い。その、少しの高さが大きく左右してしまうのだ。


 何をかって、狼族の弱点を、だ。


 塩化物イオンと銀イオンが結合すれば、白い沈殿物である塩化銀が生成される。

 仮に狼族の体内に、銀イオンを伴う何かがブチこまれた場合、

 塩化銀が生成されてしまい、それが血栓などの役目を果たしてしまう。

 脳に関わるヶ所に詰まれば、即死する可能性だってある。


 だから狼族には、銀で作られた武器が致命的となってしまうのだ。



《そうねぇ、何が1番良いかしら。

 銀の弾丸も槍も、あんまりにスタンダード過ぎて面白くないわ。

 いっそのこと銀イオンを含んだ水溶液を直で飲ませるってのも、なかなか良いわよね!!》



 一人、ハイテンションになっていくひぃ祖母様。

 言ってることはなかなか恐ろしい。

 頬が痙攣する、彼女は本当にフェールを殺す気満々。

 しかし、それを実行するのは私なんだ。

 何だか、とても理不尽。


 考えろ、突破口を見つけ出せ。


 そこで不思議だったのが、なぜかフェールを殺すという選択肢を私が一切考えなかったこと。

 一般的なら、魔物が人間に殺されるということは、良くある。

 その逆もまた、しかり。

 けれど私にとっては、フェールは魔物という分類より、

 いろいろ手伝ってくれる友人という分類に入っている。

 殺したいなんて、到底思えない。





「ひっ、ひぃ祖母様」





 裏返る声。

 微かな希望だったが、コレにかけることにした。

 口頭の契約による落とし穴というのは、意外に探せば多い。


 どうか、彼女に通用しますように。



「さっきあなたは、《私の要求は超単純。彼が今ここで死ぬこと》とおっしゃいましたよね?」

《えぇ。それが?》

「つまり」



 もう一息、吸う。

 ここで私も墓穴を掘ってはならない。慎重に言葉を選ばなければ。



「そこに《私がフェールを殺せ》というニュアンスは、含まれていないはずですよね?」



 上手くいけば、最初からあの契約は誰とも結ばれていない、ということになる。

 誰が何をするか、主語と動詞が明確に示されていなければ、どうとでも取れる。

 言語とは、そんなものだ。

 勘違いして、私がフェールを殺さないとならないんだ、と思い込んでしまえば、

 そこでアウトだった。

 どうだろう、この機転。

 ひぃ祖母様に通用するだろうか。



《…ひぃ祖母様の敵討ちなんてことは、考えない?》



 しばらくの沈黙を経て、彼女は寂しそうに言った。

 さっきまでのテンションは風に飛ばされたようだ。

 何だか気弱な言い方に呆気に取られつつ、その言葉を理解した私だったが…



「……すみませんが、いくらひぃ祖母様と言われても今やっと初めて出会った人なんですよ?

 いきなり敵討ちだなんて言われても、ねぇ? なんか、筋違いな感じが」



 ひぃ祖母様には悪いが、付き合いが長いのはフェールとの方だ。

 憧れていたのと、実際に付き合っているのと、どっちの人を大切にするかといえば後者。


 それって、当然のことじゃないかな。


「それにこいつは、私には何も危害を加えるつもり、ないみたいだし。

 殺そうとなんて一回もされたこと、ないし。

 私にとっては、こいつは薬の実験体で、役に立ってるから、殺したら困るっていうか

 ちょっと、デメリットが多過ぎるんで、私にフェールは殺せませんよぉ」



 頬を掻きながら、首を傾げる。

 どう考えても、うん、フェールを殺せと言われても無理だ。

 このままひぃ祖母様が居座ろうが何だろうが、無理。

 っていうか、ひぃ祖母様と言ったって今の彼女は魔法の産物。

 やっぱり、敵討ちっていうのはどうなんだか。



「すみません。というわけで、私にフェールは殺せません。分かっていただければ幸いです」

《……――、あーぁ》



 ガックリ、肩を落としたひぃ祖母様。



《何十年放置され続けて、この結果かぁ。本当に、嫌になるわね》



 自嘲気味の笑い、その後にフェールへまた視線を向けた。

 さっきまで見せていた厳しさはない。



《命拾いしたわね、狼男。フェールとか言った?

 私には名前も言わなかったクセにさ、何よ。ひ孫ちゃんには教えてあげるわけ?》

『……悪、かった』



 今までひぃ祖母様の言った通り、口を閉じ続けていたフェールが、やっと喋ることを許された。

 緊張の糸が切られて安心する。だが、まだ後片付けが残っている。



《なら、あなたに約束してもらうわ。フェール。

 我がひ孫にちゃんと全て話しなさい。ごまかしてこれからも、

 一緒に暮らしていく気なのかしら?》



 それはひぃ祖母様のおかげで、無事に解決しそうだ。



 これから長い長い、尋問が始まりそう。

 カツ丼はきっと、出ないけどね。