信実と誠実となくしては、礼儀は茶番であり芝居でもある。


                        『武士道』 【新渡戸稲造】





 * * *










「えっーと、…どこやったかなぁ」





 家の外にある、木で出来た簡易倉庫。

 そこには部屋に置ききれない書物などが大量に放置されている。

 保存状態と言えば、――うん、微妙。



「あっちゃー、湿気でボロボロ」



 表紙をめくってみれば滲んだ文字。

 読めないことはないが、これはなかなか酷い。



「乾燥させる呪文、定期的に掛けなきゃいけないか…」



 私の読みたい本は、こんなことになってなきゃいいけど。



 意味深な何でも屋の二人がここを訪れてから、一週間が経過。

 フェールの熱もとっくに治り、しかし結局その原因がはっきりしないので、ずっと探していた。

 魔物に関する医学書なんて多く持ってないから、参考になるかは分からないけど。

 少しは役に立たないかな。



「うわ、こっちは虫にやられてる。あーらら」

『おーい、やっぱ俺も手伝おうか?』



 ガックリした私の背中から、ヒョッコリ顔を出したフェール。

 洗濯を頼んでいたのだが、どうやらもう終わったらしい。

 わざわざやって来てくれたのはありがたいが、それでも彼にここを任せるわけにはいかない。



「だーかーら言ったっしょ? 対魔物用の魔法がかかった本もあるから、ダメだって

『だってさぁ、この腐敗具合だとそんな魔法とっくに効果なさそ――ぐぇ』



 ちょっとだけ、首輪の制約を発動。



「悪かったなぁ、こんな保存状態で」

『ソンナコトアリマセンスイマセンデシタ』



 あっさりスゴスゴと引き下がり、フェールはブツブツ言いながら首輪をいじる。

 思いっきりの発動でなければ、こういう融通がきくのが、制御装置の便利な所。










 倉庫を荒らして、最終的な収穫と言えば、埃マミレになったローブのみ。

 うん、洗濯っすね。

 お昼の準備もしなければならない、忙しいなぁ全く。

 フェールにお湯を沸かしてもらおうか、その間に野菜を切ったりなんだったりすれば効率はマシ。

 いや、あんまり変わらないか。



「フェールー、ちょっとやっといて欲しいことが――」



 いっそのこと野菜も切ってもらおうか、と思ったのだが。

 家を覗き込んでも、誰もいない。フェールはどこに行った。

 キョロキョロ辺りを見回せば、いきなり「ドンガラガッシャン」と何か崩壊する音。

 さっきまで私のいた倉庫から、聞こえた。



「ちょっ、あの馬鹿ッ」



 急いで洗濯していたローブを置き去りにし、倉庫に向かう。

 手が泡マミレ、後で痒くなりそう。

 本からの魔法が漂うあの空間じゃ、何があっても不思議じゃない。

 だから入るなって、言ったのに。



『あ゛ぁー鼻と口に埃がああ』



 情けない呻き。

 モウモウと立ち込める灰色。本が見事な雪崩を起こしていて、どれだけ掃除されていないかを物語っている。

 すいませんね、もうカレコレ一年近くは掃除してませんよ。

 女一人でここを掃除するのは、大変なんだから。



「どーしてくれんのさぁ、…この惨状」

『あは、あはは、すぐ片付けます』

「いやだから、魔法のかかった奴があるから外に出といてくれた方が、良いんですけど…」



 もう聞く耳は持ってくれないらしい。口笛を吹きながら彼は聞こえないフリ。

 仰向けに倒れているフェールは、すぐうつぶせになって本から這い出し、パンパン服を掃った。

 仕方ないので、私は扉を全開に開けて埃を追い出す。

 もう次いでだから、掃除してしまおうか。この際。

 フェールもいるから、男手は困らない。



『あっ、それからミッケたんだけど』



 いきなり、胸に飛んで来た一冊。慌てて受け取る。

 これまた装丁がボロボロ。元々紅い表紙だったのか、その名残らしき部分も見受けられる。



「へ? 何、これ」

『魔物の本なら俺の方が詳しい。これでも昔に結構 勉強してたんすよ?』

「ふーん、そういう風には全ッ然見えないけど」

『……あそう』



 ちょっと傷ついたらしいフェール。トボトボと本の片付けを始めた。

 崩れた本を一旦、外に出してくれるようだ。

 何か魔法が発動するようなことがあれば、まぁ私が近くにいるから大丈夫だろう。


 多分、ね。



(あー本当だ。こんな本あったんだ、知らなかったなぁ)


 フェールから渡された本を眺め、関心する。

 魔物に関する本も紛れていたとは、知らなかった。

 タイトルの文字は大分薄かったが、【魔物の症状1000選☆これでアナタも魔物マニア】と読み取れた。

 …どこか、ふざけた本だ。


 その感想は、的確にその本を現す言葉となる。



《パンパカパーン!!》

「!?、はっ、ぇ」



 目次を見ようと、表紙を開けた瞬間のことだった。

 クラッカーよろしく、効果音と共に七色の星が辺りに散る。

 白魔法の一種だ。パーティー用の。



《アナタの本名を記入してね》



 目が眩んで改めて本を見てみれば、そんな指示が黄ばんだ紙に黒い文字で浮かび上がっている。

 何がなんだか分からなかったが、ポンッと本から飛び出した羽ペンを持つしかなく、しょうがないので名前を書いた。



《ぶぶー 本名を記入してね》



 【グレイ】としか書かなかったからか、盛大にバツ印が本から乱舞。

 あだっ、あだだ、顔に当たる。止めてくれ。



(あーもう、フルネームは面倒臭いんだけど…)



 仕方ないので、今度はちゃんと名前を書いた。

 すると、《ピンポーン》とまたフザケタ音。

 どうやらこの本は、私を馬鹿にしたいらしい。



《お次は魔物の種族と調べたい症状を事細かに書いてね》

(……へぇ、それで絞ってくれるのか)



 狼族だとか、いきなり高熱が出ただとか、とりあえず思い付くだけ記入。

 最後に「以上」と書けば、しばらく本は無反応。しかし検索が終了したらしく、

 ページがどんどんめくられていった。



(おぉっ、すごい)



 これは便利。

 パラパラぁーとある箇所でピタッと止まった。

 確かに、そこは狼族についての病気などが記されている。

 にしても凄まじい情報量だ、読むのに骨が折れそう。

 ウッ、と眉をしかめた私に、救いの手が差し延べられた。

 羽根ペンがフヨフヨと、私の見つけたいであろう項目を、指差してたのだ。



(うわー何だコイツ、感動!!)



 思わず羽根ペンを抱きしめたくなる。そんなことをすれば折れるだろうけど。

 すぐそのペン先を目で追った。

 その項の題名は【制御装置の副作用】。

 ……――あれ?



(あら? あらあら?)



 そこに挙げられていた、様々な症状の数々。


 制御装置を付けられた魔物は、己の意思を無理矢理、

 魔法で押さえ付けられることにより、体に拒絶反応が起こるらしい。

 たとえフェールのように、私に特に反抗することもない場合でも、だ。

 確かに、彼の起こしたものと一致する症状がいくつかある。

 特に【狼化現象】は、彼も示した。



(しかも【装置と体の適合期】なんてあんの?

 あっちゃーコレは知らなかった、母さんもそこまで教えてくれなかったなぁ)



 さらに、その拒絶反応と同時進行するらしい【適合】という現象。

 装置の魔法を魔物が受け入れるには、少し時間が必要だということ。

 要は、慣れるための時期、ということだ。

 高熱だとか、敵に対する過敏反応も書いてある。

 何でも屋のあの吸血鬼に攻撃したのは、本能というかむしろこっちの症状だったのか。



(症状が収まれば装置と適合したことになる、か。

 じゃあフェールがもうぶっ倒れることはないんすね、良かった)



 私の薬が原因でもなかったようだ。

 一安心して本を閉じた。

 羽根ペンも同時に消えて、またただの古びた本に戻る。

 コレ、次に開けた時にもあんなことになるのだろうか。

 うわー、面倒臭いなぁ、それ。

 頭に飛び交う星が浮かび、憂鬱になる。



『なぁグレイ、コレ適当に積んでってるけど良いのか?

 つーか置く場所汚いから、濡れ雑巾とかで拭いた方が良さそうなんだけど』

「あっ、ハイハイ。ちょっと待って」



 フェールの呼びかけに、慌てて本を抱えて家に戻る。こういう時は杖の力を借りた方が良い。

 ちょっと乱暴に本をソファに沈め、杖を持って再び倉庫に向かった。



 結局、随分と遅い昼ご飯を食べるハメになりそうだ。





 * * *





《うーん、久しぶりのシャバだわぁ。肺のカビが死滅しそうね》



 グレイの置き去りにした本から、ゆっくり立ち上った煙。

 そこから形作られた、魔女が一人。



《なかなかの魔法の持続じゃない。さっすが私!!

 そんじょそこらのヒヨッコ共には、まだまだ負けなくってよぉー?》



 己の体を見回して、彼女はニシシと笑う。

 それからとりあえず部屋を一周。本からあまり離れることなく、観察を続けた。



《一人と一匹は外に行っちゃってんのね。残念。帰って来るまで待たないと》



 感じた二つの気配に、彼女は微笑んだ。そこには黒さはない。



《初めまして、我がひ孫。お久しぶりね、人殺し。会いたかったわぁ》



 時間はまだまだある。

 そう言わんばかりの呑気さで、彼女は出現させた紅茶を楽しむ。





《あら、ちょっと砂糖が足りなかったかしら》