できるなら制約は絶対に拒むがよい。

 さもなくば、最小限にとどめることだ。


                 『幸福論』 【ヒルティ】




 * * *










狼男との同棲生活は、一ヶ月を突破した所で事態が急変した。





 それまでは驚く程にフェールとの生活は順調。

 私の作る薬の副作用云々も、やはり狼男にはそれほど効かない。

 おかげで参考に出来る血のサンプルは簡単に採取出来るし。

 まさに至れり尽くせりだった。


 それなのに、これは一体どうしたことだろう。



「狼男のくせして、何で風邪ひくわけぇ?」

『それは偏見ですぜグレイの姐御!! 魔物だって体調崩すことくらいありますって』

「いやだって、私の薬を飲んで体調崩すなら分かるけど……何も飲んでないし」



 私の部屋のベッドを占拠し、フェールは汗だくになっている。

 あはは、と笑いつつ、なかなか体力は奪われているようで。

 人間で言う、インフルエンザ並の症状のようだ。

 額に乗せてあげている、魔法で作った氷嚢。

 すぐ融けてしまって意味がない。



「今まで何ともなかったのに、一気に副作用が来ちゃったのかなぁ」

『いや、違うと思うよ』

「何できっぱりそう言えるわけ?」

『うーん、……勘、かな?』

「はい、薬の副作用に決定っすね。やっぱり狼男でも負担になるのか、困ったな…」

『ちょっ、酷くね!? 俺の勘、結構当たるんだよ!?』



 それを誰が証明してくれるのだろうか。

 私に気を遣う必要など微塵にもないのだから、

 そこまで薬のせいじゃないと言ってくれなくても良いのに。

 声を荒げ上体を起こしかけたフェールをはっ倒す。

 ボフッと枕に再び埋もれた彼は呻くのみ。



『よっ、容赦ないっすね…』

「病人は黙って寝る、文句言わないこと。破ったら首輪の制約 発動させるからね」



 脅し、病人食を作りに台所へ。

 病人食と言っても、卵粥くらいしかレパートリーにないんだけど。

 その前に、狼男を人間と同じように扱って良いものかどうかも、怪しい。

 っていうかそもそも、狼族の食文化なんて知らないしな。

 ……まさか、結構ゲテモノ料理とか、だったりして。

 いや、ちょっと待て、狼ならやっぱり肉食?

 しかし、あんな体調で肉に齧りつくとか。

 今度は消化不良でも起こしそうだ。



(……ま、やっぱりたまご粥で良いとして。

 にしても、薬の副作用だとしたら何が原因だったのかなぁ。

 熱の出る副作用のある薬草、使った覚えないんだけど)



 鍋のご飯と卵とダシを掻き混ぜながら、首を傾げる。


 フェールの血を採取して分かったことがある。

 狼男と人間は、血や組織細胞を構成する成分がそれほど変わらない。

 強いて言えば、人間より塩化物イオン濃度が高い。それくらいだ。

 だから何の不都合もなく、そのまま薬の参考になった。

 つまり人間に起こる副作用と狼男に起こる副作用と、大差はないはず。

 けれどやはり、狼男に対する方が副作用のレベルは軽いようだった。

 まぁ、体の丈夫さがそもそも違うのだろう。



「フェールー、お粥出来たよー……って、あれ?」



 台フキンで鍋を持ち上げ、ベッドの横にあるテーブルに置く。

 さっきまでなかった黒の塊がmベッドに沈んでいる。

 いつの間にかフェールが狼の形態に戻ってしまっていた。



「あり、どうした?」

『弱りっ、過ぎて……戻っ━━ちゃっ……た、……みたい』



 ゼェゼェ言いながら、フェールは説明してくれた。

 私が思っているより、よっぽど酷いらしい。こんな短時間で悪化速度がこれか。

 仕方ないからまた氷嚢を頭に乗せてあげて、布団の中にも氷を敷いた。

 体温が上がり過ぎると、脳に影響が及ぶ可能性もある。



「全っ然大丈夫じゃなさそうだねぇ、ごめん。体にはえらく無理させてたみたい…」



 こんな状態では、お粥も食べられないだろう。

 虚しかったが自分で食べるしかない。

 しかし、このままだとフェールの体力も持たないかもしれない。

 解熱剤を調合しても、それを飲むほどフェールに体力が残っているかどうか。

 ドリンク剤的なものを作るべきだろうか。



(それで楽になればいいけど……)



 もう氷が溶けてきた、次はちょっと大きめに凍らせて、

 私は薬をいつも調合する部屋へ向かう。

 フェールは眠っているし、私が離れても大丈夫だろう。



(あ、お粥も持ってこ)



 パタンッと扉が閉まり、フェールはたった一人残された。










 * * *










(あーもー、こんなに辛くなるなんて聞いてないって!!)



 明らかに、コレはイジメだと思うわけっすよ。


 ガンガンと打ち付けられる熱に、筋肉がダメになりそうだ。

 何とか人間形態に戻れば、毛がなくなった分、少し冷える効率は良くなる。

 だが、それでも厳しい。



『暑ぃ…』



 掛け布団から肩や腕を出して、余った氷を喉につけた。

 ちなみに俺はとっくに、この熱の原因を把握している。

 だが、グレイにそれを告げるわけには、どうしてもいかなかった。



(俺の外見にはピッタリなんだけどなぁ、身体との相性は最悪?

 あっ、なんか女の話してるみてぇ)



 心で呟き一人で笑い、首に装着されている銀色をいじる。

 勿論、俺自身から発せられる熱のせいで、ワッカも熱くなっているのは当然。

 だが、それだけではない。


 このワッカ自体、熱を発している。



(【グレイア】、あんたやっぱ性格すっげぇ悪ぃよなぁ。死んでから何十年経っても)



 霞む視界に浮かぶ女性は、とっくにこの世にはいないというのに。

 脳裏に焼き付いている灰色は、どんなに忘れようとしても薄れることはない。

 あっ今、笑いやがった。絶対。



(コレ絶対、俺専用の制御装置だろ。あんのババァ、曾孫に何てモン託してやがんだ。

 その肝心の曾孫は……なぁんも知らねぇし)



 グレイの出て行った扉を眺め、やはり収まらない熱に抗えず、瞼を下ろす。

 せっかくの氷も、もう生温くなってきていた。



(まぁウダウダ言っても仕方ないっすね、もうちょっと寝ますか)



 首に乗っている僅かに残った氷を頼りに、再び俺は深く眠り込んだ。

 あーもう、悪夢見そう。嫌な汗だよ、全く。










 * * *










「あ゛ー薬草きれてるの忘れてたぁ゛…」



 調合に使おうとした薬草のあるであろう引き出しを開け、うなだれた。

 そういえばすっかり忘れちゃってたよ。

 仕方ないから外の畑へ摘みに行く。


 薬草をちゃんと維持するのは骨が折れる。

 野菜などを育てるのとはまた訳が違うからだ。

 土壌中に窒素だとかリンだとか、スタンダードに必要な元素は勿論のこと、

 魔法の力も必要になってくる。

 葉っぱを撫でながら成長具合を確認。最近はなかなか良質に育ってくれて、ありがたい。

 と、気を抜いてると枯らしちゃったりするんだよねぇ。



「あっ、これちょうど良く育ってんな。使えそう」

「あぁ? それはもう少し緑色が濃くならねぇと、最高の栄養状態じゃねぇぞ?」

「あっ、そっか。そうだった、ならダメだな……━━━、ん?」




 今、私は誰に返事をしたのだろうか。



 薬草から目を離して、振り返ってみれば男女が一人ずつ。

 何だか物騒な雰囲気を醸し出した女性に、温和な表情をした男性。

 今発言したのは女性の方で、何だか不機嫌な顔をしている。



「てめぇの足元にある奴、それなら良い色具合だ。

 使うならそれにした方が良い。次いでに、俺達を部屋へ上がらせろ」

『あっ、それからハーブティーをいただければ最高なんですが』



 ゲッ。男の方は魔物だ。

 まるで人間と変わらない彼は丁寧な言葉遣いだが、なかなかガメツイ要求をしている。

 何だこの二人。変な組み合わせだ。

 まず、人間と魔物が隣に並んでいる時点で奇妙だ。



「どっ、どちら様、でしょうか?」

「話せば長い。とりあえず部屋に入れろ。アホウ」



 声が上擦った私だったが、アホウと言われる筋合いはないはずだ。

 ムッとして彼女を見れば、呆れられるような溜息を吐かれた。



「違ぇよ、狼族を匿ってんだろ?

 それをアホウと言ったんだ。てめぇを馬鹿にしたわけじゃなく、な」



 あれ、なぜフェールのことを知っているのだろう。

 そういえば、見知らぬ人が私を訪ねてくるなんて、稀だ。

 何か、何かがなければ、そんなことは滅多にない。

 嫌な予感がする、ちょっとこれはマズイのではないか。

 ジリジリ後ずさる足だったが、それをせせら笑い、魔物の男が残酷に告げた。



『あぁちなみに、逃げようとしても無駄ですよ。結界魔法陣は、とっくに生成済みですから』



 彼が上空へ人差し指を立てる。

 目で追えば、鮮やかな呪文が私の家を中心として、半球上に描かれていた

 馬鹿な、何だこの結界の規模は。

 見たことのない魔力に絶句、薬草を入れていた籠を落としてしまった。

 あぁ勿体ない、などと呑気なことを考えている暇はないぞ、私。



「なっで、ぇ、は?」

「俺達は何でも屋。この近くの村の村長から、ある依頼を受けてここまで来た」



 私の動揺などど、どこへやら。

 口調の悪い女性の手元から、何やらカシャンと音がした。

 いつの間にか、彼女の両手にはリボルバー型の銀色の銃が二丁。

 その銃身にも呪文が施されているらしく、白の輝きで文字が浮かび上がっていた。

 ただの銃ではない、魔力の籠った武器、【魔具】の一種だ。



「化け物を出せ、これは命令だ」



 銃口の先には勿論、私。ではなくて、私の家。

 彼女は何の躊躇いもなく、引き金を引いた。

 さらに放たれた弾は、全て家の窓を突き破り、侵入。

 パリンパリンバリンバリン、軽快なリズムで響き渡る破壊音。

 フェールの寝ているであろう部屋にまで、入ってしまった。



「!?フェッ」

『おや、あまり元気ではなさそうですね』



 瞠目し、絶叫しかけた私。

 そんな時に届いた冷静な声は、私の頭上を軽やかに通り過ぎ、目の前に着地した。

 鮮やかな跳躍に見とれてしまった。まるで彼の背には翼でも生えているかのよう。

 なので彼が誰を標的にしようとしているかに、注意を向けられなかった。



『体調不良ですか? 情けないですねぇ、狼男とあろうものが』

『ぁあ゛あぁああ゛ああ!!』



 割れた窓の一つから、大きな影が躍り出た。

 雄叫びと共にやってきたフェール。強靭な脚力で魔物の男へ襲いかかる。

 けれど彼の叩き落とした拳は、あっさり男に片手で受け流されてしまう。

 まだ熱に体を冒されている真っ只中のはずだ。

 あんな動きをすれば、さらに体調が悪化すること必至。

 何だか目の色も変わっている、普段のフェールには考えられない殺気。



「フェールッ、無茶だ」

「おーおー、まぁ調子悪ぃ割に動きはそこそこ。シーザ、手加減してやれよ?」

『分かってますよ、シャータ』



 慌てふためく私。やる気のなさを際立たせる女。

 体のどこかに銃を仕舞った彼女は、シャータというらしいが、

 私の肩に手を置いて面倒臭そうに告げる。

 息が死にそうなフェールの両手を、シーザと呼ばれた魔物が完全に押さえ込んでいた。

 ギリギリと均衡を保つ二人。

 オロオロしたところで無意味なことは分かっている。

 何やら、手加減などという生易しい言葉が聞こえたが……

 どう考えても、この雰囲気で手加減も何もない。



『あなた、古代種であるこの僕に勝てると、思ってらっしゃるんですか?』



 スッ―と細くなった瞳は、寒気をもたらした。

 まるで悪魔のような男、いや、魔物ではあるのだが、とにかく恐ろしい殺気だ。

 フェールのそれを、上回る程の。

 ちょ、やっぱり手加減とかナシ━━……!?



「フェールっ、逃げ━━」



 不意に、フェールの両手を握っていた力を、シーザは抜いた。

 ひたすら前に力をかけていたフェールはバランスを崩す。

 さらに彼の思惑通りになってしまう。



『鼻は外します、感謝してくださいよ全く』



 ゴパぁ━━━━ッ……


 鈍い音が、フェールの額から届く。

 美しい曲線を描いた膝蹴りが彼を貫いた。

 頭にかなり響いたに違いない。

 仰向けに大きく倒れ、草が一応のクッションにはなっただろうか。

 蒼白になってフェールに駆け寄った。地に伏した彼は微動だにしない。



「おいッ、フェール!! しっかり━━」

『大丈夫ですよ、軽い脳震盪です。しばらく目覚めませんけど』

「さて、とっととその狼を運べシーザ。それからてめぇは客をもてなす準備をしろ」



 何事もなかったかのような、振る舞い。

 軽やかにフェールを担ぎ上げたシーザに、私へ言葉を叩き付けたシャータ。

 展開に着いて行けず呆然とする、私





「いいか、これは命令だ」





 けれど、確実に、大変なことに巻き込まれる。

 それくらい言われなくても分かったよ。

 私にだって。