あまえということは誰しもどこかに持っているらしい。

 すなおでなく、ちょっとぎこっとした構えのようなものを持っているのは、

 強いようにも考えられるがその実あぶなっかしい性格であり、

 よいほどにすらりとあまえられる人のほうが、

 不潔なあまえに毅然たる態度を持して行かれるのではあるまいか。


                             『みそっかす』【幸田文】




 * * *










拾った狼は、この世の至福とばかりに、深い眠りに落ちている。





 狼の形態で眠りに落ちた彼の扱いに悩んだが、

 冷えた体を温めてあげることを優先した。

 さっきも、寒ぃ、と呟いていたし。

 彼を暖炉の前に丸まらせて、私は風呂場にお湯を準備する。

 随分、彼の体は汚れてもいたからだ。



(━━━……っていうか私が洗ってあげなきゃなんないのか)



 桶やらなんやらを手に持ち、ふと頭が痛くなる。

 そんなことをして、もし途中で人型に戻られでもしたら大変。

 どっちが変態なんだか。



(あーでもさっき全裸、拝んじゃったなぁ……)



 いや、あれは不可抗力だ。

 思い出して自滅する、頬の熱をなんとか無視。

 頭を振って己に言い聞かせた。



(そうだ忘れてた、それから━━……)



 水を風呂桶に溜めてから、魔法の火で温めだし、また黒の元へ。

 机の引き出しから、年期の入った銀のワッカを取り出す。

 私の曾祖母から代々受け継いできた、対狼族用の魔力制御装置。



(本当にありがとう、ひぃ祖母様!!)



 もうとっくに天国へ逝かれた、私の一族の中で歴代の実力者に並んでいた彼女。

 今でも私の憧れだ。会ったことないけど。

 このワッカは魔力制御だけでなく、魔物を服従させる魔法も込められている。

 人権無視、いや、この場合は狼権無視というべきか。

 まぁ簡単に言って、有無を言わせない強制契約の首輪なのだ。



(最近、人手が欲しかったからねぇー)



 ほくそ笑み、ゆっくり黒に近付いて、首を探る。

 本当に爆睡している、よっぽど疲れているようだ。触っても反応は皆無。

 弱っている所に付け込むのは罪悪感があるが、

 それ以外に私がこいつを従えられる術はない。



(薬草の調合した後、自分で実験するの怖かったんだぁ)



 魔物、特に狼族ならば、おそらく変に混ざった薬を飲んでも副作用はあまりないだろう。

 これもまた勝手な推測。

 私は今まで自分で作った薬を試して、腹を下したり皮膚の痒みが止まらなくなったりしたことがある。

 誰か代わりに試してくれるなら、いくらでも金を積みたい気持ちだったのだ。

 やっと毛を掻き分けて首を見つける。そのまま首輪をはめようとした。


 しかしまぁ、全て全て上手く行くわけがないのが、人生というもので。



『あ゛ー、……良く寝たぁ』

「んぎゃッあ!?」



 ずざざざぁ。

 後退りしてお尻が痛くなるなんて、今まで体験したことがない。

 ローブが擦れて穴が空いたりしていないだろうか。

 確認する間もなく、狼型のままの奴の欠伸が、鋭い牙を私に見せつける。



『あり? あっ、まーた戻っちまったのか俺。

 あっちゃー迷惑かけたね、あんた。

 わざわざ拾ってくれたのか? なに、ここあんたの家?』

「ひぃッ、は、はい」



 声が裏返って喉がつりそうだ。

 結局、首輪を付け損ねてしまった。

 右手の銀に汗が滲む。



『おわー暖炉、久しぶりだなぁ。あったけぇ』



 そんな私とは正反対に、何だか大変幸せそうなお顔。

 まだ眠りそうな狼は、鼻をひくつかせた。



『やっべぇ眠い。
 あのさぁ、もうちょい俺ここにいて大丈夫っすかね?

 疲れてんだわ、思ったより。ずっと寝てなくってさぁ』

「はっ、はぁ……まぁ、構いませんけど」



 私が断った所で、この勢いだとどうせ居座られる。

 そんな気がして了承をしてしまったが、実際はかなり焦っていた。

 回復した瞬間、襲われでもしたらたまったものじゃない。

 右手に握る銀のワッカに、私の命運は託されているのだ。



(どうにかしてはめないとッ、奴が油断している隙に…!!)



 こんなことなら、水をぶっかけて外に放置しておけば良かった。

 新薬の実験台が欲しいのはヤマヤマだが、命をかけてまで手に入れたいわけじゃない。



(うわーもーいやー)

『あっ、そうか、忘れてた』



 泣きそうな私など奴には関係なく、突然また起き上がった。

 さらに人型に変化したものだから、私は絶叫して杖に飛び付く。

 また服を出現させてあげて、息を荒げながら奴を見上げた。



『あ、また服すんません。

 それからガメツイのは分かってるんすけど、

 風呂貸して貰えないっすか? もう限界なんすよ』



 ノミが痒くて。

 そう少し照れながら付け加える奴に、私は震える指で風呂場を指した。

 扉を確認し、嬉しそうに奴は頭を下げる。

 やっぱりどう見ても、丁寧な狼男だ。

 あっ、風呂にはもう湯が沸いているはずだが、人間形態で入るには量が少ないかも。



(……いや、だから私がそこまで気を使う必要ないじゃないっ)



 頭を抱えてうずくまる。

 なぜだ、なぜ奴の空気にここまで流されてしまっている。

 まるで普通の人間みたいに奴が振る舞うから、客が来たような錯覚に陥っているのか。



(魔物ってもっと凶暴で性格悪いんでないの!?)



 あの爽やかさは、偽ったものに見えない。

 魔物と出会わない生活を送っていたものだから、妙なイメージがついているだけなのだろうか。

 人間と同じように狼男だろうがイイ奴はイイ奴なのかも。



『わーお湯!! お湯沸いてる、すっげぇ』



 風呂場から聞こえるはしゃぎ声。

 子供かお前は、と小さく呟いて両手の中にある銀ワッカをいじる。



(うー、凶暴じゃなけりゃコレ付けるのも何だかなぁ。

 これ、本当に怖いくらい制約、強いし。ちょっとキツ過ぎるんだよなぁ)



 小さい頃、まだ私の一族の皆と同じ家に住んでいた時。

 魔物の調教として似たような制御を付けられた魔物を、見たことがある。

 その魔物が私達一族に逆らう度に、そいつの全身に激痛が走り、断末魔を上げ、

  痙攣して泡を吹く様はまだ頭に残っている。

 その装置以上、このワッカは強力であると、母に言われ続けて来た。



(でも狼男っすよ、お母様!!

 使う価値は充分な相手じゃございませんか!?

 つーかこの後に喰われるなんてことは!?

 体キレイになってスッキリした後に、

 さぁ次はお前で腹拵えじゃー的な!? 可能性あるでしょ!?)



 ネガティブな想像ばかり膨らみ、完全に風呂場への意識をなくしていた。

 こういう間の抜けた所が、私のダメな所。

 誰か、私に成長とか学習能力という言葉を教えてくれ。



『いやー気持ち良かったぁ、いい湯でした、ありがとうございます』



 ワッシャワッシャ。

 タオルで豪快に頭を拭きつつ、上半身裸の狼男が風呂から上がって来た。

 上機嫌にルンルンで、彼は湯気を上げている。

 よっぽど、久しぶりの風呂だったらしい。

 いきなりのことで驚いた私の両手は力んでしまい、銀ワッカを左右に開いてしまった。



「ぎゃぁあ開いちゃったあああ!!」

『どーしたんすか?……━━おっ、何すかそれ、首輪?』



 パニックの私などお構いなく、奴が左右に開いたワッカを興味本位で取り上げた。

 慌てて取り返そうとしたが、明らかに身長差が大きくて届かない。

 その前に人の物を勝手に取るとは、一体どういう了見だ。



『服だけじゃなくてアクセサリーまで用意してくれたんすね!!』

「ちっ、違ッ」

『このいぶし銀具合、俺の好みなんすよ』



 勘違い甚だしい。

 微笑み、奴は自分の首に銀をはめてしまった。

 カシャンッと小さな音がし、鈍色の首輪が見事に奴の首にフィット。

 刹那、魔力が発動した。



『!?、ぐぇっ』

「あああ゛…」



 キィンッ。

 鋭く嫌な音と共に、錆が弾け飛んで銀色の輝きが剥き出しになる。

 もう私の力では外すことは出来ない。

 あぁ、ひぃ祖母様、何だか取り返しの付かない事態になっていっている気がします、

 っていうかもう助けてください。


『んぎゃあああコレ制御装置だったのかぁッ!?』

「何で勝手に付けたりするんですか……」

『だって気に入ったから!! つーか何コレ、すっげぇ強力でない!?』

「うん、簡単に外れない」

『うっわー馬鹿やっちまったぁー』



 ピカピカ光る首輪は、絶賛魔力発動中であることを示している。

 おそらく、そこから感じる魔力で察したのだろう、狼男がうなだれた。

 何だかこの狼男の間抜け具合は、どこか共感せずにはいられない。

 落ち込む彼の傍で、私は溜息を付くしかなかった。



「あの、その首輪の主は私なんで、

 あなたが私の言うこと聞かないとイケナくなるわけなんですけど…」

『……あーそうか、つまりあんたに逆らったら罰を食らう?』

「そうなんです。……しかも、かーなーり痛い、らしいです」

『ならしゃーないっすね、ここにいます。ってそれが迷惑っすか?』



 ━━━━………はっ?



 目を点にして、ただ困ったように笑う狼男を見る。

 え、何コイツ、何でこんなにあっさりしてるわけ?

 さも、当然だ、と言わんばかり。

 もっと他に道を考えないのか、だとか、いろいろ言いたいことはあった。

 何でこいつ、この状況をスンナリ受け入れるんだ。

 何でもっと抵抗しようと、しない。



『あっ、やっぱ迷惑っすよねぇ。うーん、ならどうしようか…』

「いいですよ、別に。ちょっと人手が欲しかったし」



 あっ、なんか、心で思ってることじゃないことが口から出て来る。

 まるで第三者視点から、自分と狼男を見てる感じ。

 投げやり気味な言い方になっていたが、彼はそれほど気に留めなかった。

 どうしたのだろうか、私こそ。ちょっと今日は体調が悪いのだろうか。

 何で、こんな、コイツと一緒に過ごさなきゃいけないような状況へ自ら飛び込んで行ってしまう?


「残念ですけど、主従関係はどうあがいても変えられません。

 主人の命令には何でも従わないとならない。分かってますか?」

『あぁ、知ってる。で、あんたの命令は?』

「私の作る新薬の実験体になってください、自分で試すと悲惨になるんで」

『おっ、なんだ、じゃあ俺は薬ばっか飲めばいいのか?』

「副作用が起こりますよ?結構酷い」

『狼族をなめんなよ、丈夫さが違ぇ』



 不敵に笑う状況ではない。

 呆れて言葉が消えそうだ、この狼は自分の意志だとかを持ち合わせていないらしい。

 ほいほい何でも了承してどうする。

 しかも私の下、つまり人間の下につくことになるのに。

 プライドとかはドブにでも捨てたのか。

 私の不審になど一切気づいていない狼男は、いきなり満面の笑みを咲かせた。

 あっ、ちょっとその顔良いな。なんて思わないよ、絶対!!



『ってことは、俺、ここに住んでも良いんだよな? よな?』

「まぁ……それしかないっすよね」

『よっしゃー!! ありがとう見知らぬ魔女さん、マジで感謝です!!』



 ━━━━………はっ?



 本日、二度目。


 ガシッと肩を掴まれて、キラキラした目を向けられる。

 どこにそこまで私に感謝する要素が、あるというのか。

 胸に混乱が渦巻いてどうしようもないが、狼は何やらハイテンションになっていくだけ。



『俺、一族からはぐれちゃったんすよ、実は。

 だから仲間がドコにいるかとか、分かんなくて、

 心細くて、下手したら死にそうで。

 ガムシャラに走ってここまで来たんすけど、

 やっぱ人間に追われちゃうし。

 疲れて寒くてどーしよーもなくなって、

 あーぁ俺やっぱ死んじゃうのかぁって覚悟してたのに、

 気が付いたらあんたが拾ってくれてて。

 人間でも、あんたみたいに俺のことあんまり怖がんない人いるんすね!!

  俺、感動した!! 人間なんて魔物見たら銃ぶっ放すか、

 攻撃魔法で殺すくらいの対処しかしないと思ってたから』



 ペラペラと自身のこれまでの経緯をまくし立てられ、目を白黒させてしまう。

 群れからはぐれた狼だったのか、またややこしい奴。

 その仲間はドコにいるのだ。一体全体。



『あっ、ちなみに俺はフェールって言うんっすよ。あんたは?』



 いちいち話をかっ飛ばさないでくれ。

 唐突な自己紹介に着いていけず、二、三テンポ遅れて告げる。



「わっ、私はグレイです。……瞳が灰色だから」

『おぉ、そーいやーそうっすね。生まれつきなんだ、それ。』

「曾祖母の血が強くて。彼女も灰色だったらしいんで」

『へぇー先祖返りって奴? まっ、よろしくな、グレイ。

 ん? 御主人様とかって言った方が良いのか?』

「グレイでいいから御主人様とか絶対止めてっ!!」

『あっははー、分かった分かった』



 当初の目的通りに事は進んだ。それなのに、なぜ違和感があるのだろうか。

 だが上手く行き過ぎたからこそ、違和感があるのかもしれない。


 たまたま、私は銃も持っていなくて、攻撃魔法も出来ない魔女で、フェールを殺せなかった。

 そしてフェールもまた、衰弱していて助けを求めていた所、力の無い私に出会った。


 誰かが仕組んだとしか思えない、偶然。

 けれど、完全にその誰かのせい、というわけでもなさそうだ。



『お、やっぱこの首輪、俺の好みだなぁ』



 姿見に映る、銀色を見てフェールはしみじみ言った。

 強力な魔力制御装置をそんな風に言える、こいつのちょっとおかしい神経。

 そして。



(あっ、ご飯とか今日から二人分? 考えて作んないとなぁ)



 従えた狼男の分の生活まで真剣に考えてしまう、ネジのズレた私の頭。

 うん、気付かない内に見事な化学反応が起こってしまっている。



 とりあえず、泥で汚れた自分の体を洗うことが、先決なんだけどね。